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藤城

横歩連 渉外担当
藤  城  毅  光

 

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横浜が開港後、居留地が開設されると、諸外国の船が入港し、その第一号はアメリカ系商社の船であり、その中に香港からやって来た中国人買弁(貿易取引などの仲介人)が乗っていた。
香港や上海の欧米商館で経験を積んだ中国人は、漢字を通じて言葉や商習慣の異なる西洋人と日本人の仲介者となり、西洋人が生活を営む上で必要なさまざまなサービスを提供し、居留地社会で中国人は不可欠な存在となり、開港20年後には2,245人に達し、居留地外国人の六割を占め、世界有数の中華街を形成してきた。

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横浜の開港は欧米諸国だけでなく、中国に向けての開港であったともいえる。
しかし、その営みは平坦ではなく、日清戦争、関東大震災、第二次世界大戦、横浜大空襲、戦後の荒廃、接収、国共内戦等様々な悲劇にも見舞われた。
それはまた、近代の横浜が歩んできた道と重なる。

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現在の中華街は400メートル四方に約五千人が住み、年間観光客二千万人、善隣友好のもと七ヶ条の「中華街憲章」を作っていた。
(礼節待人の中華街)、(創意工夫の中華街)、(温故知新の中華街)、(先議後利の中華街)、(老少平安の中華街)、(桃紅柳緑の中華街)、(善隣友好の中華街)、この互助精神を発揮し人類の平和と発展に尽くす意識で街づくりを進めている。

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横浜中華街の155年は落地生根の営みであり、「四神相応観」に基づいていた。
東【朝陽門】は日の出を迎え繁栄をもたらす門で色は青。
南【朱雀門】は災厄をはらい福を招く門で色は赤。
西【延平門】は平和。平安を招く門で色は白。
北【玄武門】は子孫の繁栄を招く門で色は黒。
これら10ある牌楼に守られ、日の出から日没まで、そこで生活している人々と來街者を温かく見守っている。

横歩連ニュースより転載