後立山の想い出
横歩連会員 市 川 征 彦
10年ほど前の夏である。八方尾根をゴンドラに乗って登り、八方池経由で唐松山荘着。
山荘前から縦走路に入ると、いきなり急登で鎖場が次々と出てくる。
路傍の高山植物の花を楽しみながら、一泊目の五竜山荘に着く。
山荘前のベンチで軽く宴会。
西に太陽が沈み始めると、黒部川を挟んで連なる立山、剣岳のシルエットが美しい。
翌日、五竜岳に登り、南に向うと空模様が怪しくなってきた。
昼前だったが、キレット小屋の手前で、ドシャ降りの雨にやられる。
全身ビショ濡れになったので、キレット小屋に逃げ込み、その夜はここに泊まる。
翌朝5時出発、八ッ峰キレットはその名のとおり、鎖場とハシゴの連続、さらに落差があるので、手足に妙に力が入ってしまう。
緊張していたので、デジカメも使えなかった。
さらに鎖のない岩場は、濡れて滑るのでかなり怖かった。
急登をすると鹿島槍北峰に着く。同南峰(標高2,889m)が、今回の最高峰。
さらに南下して、冷地山荘で冷たいスポーツドリンクで、ノドを潤す。
途中、小雨の降る中、昼食のおにぎり弁当を立ったまま食べ、爺ヶ岳に出る。
さらに柏原新道を経て、夕方5時に扇沢(バス停)に出る。
この日は実働12時間。
15キロの荷を背負って、60代の男女5人、よくも歩いたものだと我ながら感心した山旅だった。
横歩連ホームページ開設に寄せて
横歩連会員 高 野 久 雄
最近は、ウォーキングの多様化により、多くのウォーカーが大会に参加しております。
一例を上げますと、JR や私鉄の駅からハイキングなど、参加回数やポイント制度により、記念品などの贈呈があり、人気を呼んでいます。
残念なのは、一部のウォーカーのマナーの悪さから、京王電鉄のウォーキングが中止になってしまいました。
しかし、参加人員が3,000名を超すハイキングもあります。
交通費が高いにも関わらず、人気が高いのは何故でしょうか?
期間設定のフリーハイキングの開催もあります。
これらすべてホームページ(以下、HP)から検索できます。
いつでも、どこでも、好きな時間に、これこそがHPの素晴らしい点ではないでしょうか。
これからは、携帯電話に代わり、安価になったスマートフォン(以下、スマホ)が急速に増加するのは、目に見えています。
横歩連のHPはスマホ対応なので、一般者の参加が見込まれます。
ウォーカーの情報発信源として、みなさんに喜ばれるHPを目指してください。
横歩連 渉外担当
藤 城 毅 光
横浜が開港後、居留地が開設されると、諸外国の船が入港し、その第一号はアメリカ系商社の船であり、その中に香港からやって来た中国人買弁(貿易取引などの仲介人)が乗っていた。
香港や上海の欧米商館で経験を積んだ中国人は、漢字を通じて言葉や商習慣の異なる西洋人と日本人の仲介者となり、西洋人が生活を営む上で必要なさまざまなサービスを提供し、居留地社会で中国人は不可欠な存在となり、開港20年後には2,245人に達し、居留地外国人の六割を占め、世界有数の中華街を形成してきた。
横浜の開港は欧米諸国だけでなく、中国に向けての開港であったともいえる。
しかし、その営みは平坦ではなく、日清戦争、関東大震災、第二次世界大戦、横浜大空襲、戦後の荒廃、接収、国共内戦等様々な悲劇にも見舞われた。
それはまた、近代の横浜が歩んできた道と重なる。
現在の中華街は400メートル四方に約五千人が住み、年間観光客二千万人、善隣友好のもと七ヶ条の「中華街憲章」を作っていた。
(礼節待人の中華街)、(創意工夫の中華街)、(温故知新の中華街)、(先議後利の中華街)、(老少平安の中華街)、(桃紅柳緑の中華街)、(善隣友好の中華街)、この互助精神を発揮し人類の平和と発展に尽くす意識で街づくりを進めている。
横浜中華街の155年は落地生根の営みであり、「四神相応観」に基づいていた。
東【朝陽門】は日の出を迎え繁栄をもたらす門で色は青。
南【朱雀門】は災厄をはらい福を招く門で色は赤。
西【延平門】は平和。平安を招く門で色は白。
北【玄武門】は子孫の繁栄を招く門で色は黒。
これら10ある牌楼に守られ、日の出から日没まで、そこで生活している人々と來街者を温かく見守っている。
横歩連ニュースより転載