6月3日(日)
主催:横浜歩け歩け運動連合会
〇青空と緑と自然ふれあいウォーク 30-④ 南区 10キロ
蒔田城はどこに存在するのか?未だ謎のミステリーウォークである。
集合時間:午前9時00分
集合場所:横浜公園
コ ー ス:大通り公園~横浜橋通商店街~中村橋~蒔田の森公園~勝国寺~大岡川~蒔田公園~南太田駅
解 散:午後0時15分
雲ひとつない青空の下、集合場所の横浜公園は、毎年行われる横浜市開港記念日のバザーと重なり、会場はごった返していた。
横歩連初めての企画で「まぼろしの蒔田城を探す」のミステリーウォークに、魅せられたのか多くの参加者が集合した。
そんな会場を後に、関内の横浜ベイスターズ優勝記念モニュメント「煌」の前を通り、大通り公園へ。
横浜橋商店街の隣接にある、毎年、酉の市で賑わう金比羅大鷲神社前を通過。
大衆演劇の殿堂・三吉演芸場前を通り、蒔田の無量寺を経て、いよいよまぼろしの蒔田城を探しに、蒔田の森公園へ。
蒔田の森公園一帯は当時、蒔田城の馬場があったと云われ馬場の森、馬場谷(ばばやつ)と呼ばれていた。
ここでガイド役の藤城毅光氏の蒔田城歴史の説明を予定していたが、スタッフの手違いで、実現できなかったのが残念でならない。
蒔田の森公園は、所有者だった故・森正勝氏から横浜市が寄付を受けて公園として整備したところで、平成12年4月に完成した。 |
横浜市歴史博物館の調査によると、この付近一帯を治めていた吉良氏は、中世後期の室町時代には、この蒔田の地で、足利将軍家の一族として諸侯から一目置かれる存在で「蒔田御所」「蒔田殿」と称せられた館を構えていた。
その後、1590(天正18)年に豊臣秀吉による小田原落城とともに北条氏が滅ぼされ、蒔田城も廃城となったとされる。
現在、横浜英和学院が建っている場所にあった蒔田城は、教育委員会に城址の発掘調査がされないまま、小学校建設許可容認で破壊されたため、どんなお城だったのか現代では歴史的資料が少ない「まぼろし城」と呼ばれている。
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城の形は土塁や空濠をめぐらした簡単なもので、丘陵城郭と呼ばれるものである。
本丸は学院の礼拝堂辺りで、その南に天守台があったとされる。
近くに龍祥山勝国寺があり、この日はたまたま植木の手入れに庭師が入っていた。
このお寺には、横浜史跡に登録されている、北条氏と婚姻関係にある吉良家の供養塔がある。
吉良家とは、あの忠臣蔵で出てくる吉良家にあたる。
寺の由来は、1479(文明11)年に吉良政忠が父の供養のため開基建立したとある。開山は武蔵国一帯に禅風を挙楊した天永琳達大和尚。元禄時代には、諸堂伽藍、鐘楼等を配していた時代もある。 |
寺の解説では、「吉良政忠一族の墓」と書かれている吉良家供養塔の五輪塔は、4基あり最も大きなものは高さ102cm。
まぼろしの蒔田城も、実態が掴めないうちにミステリーになってしまった。
参加者の皆さんには、横浜にこんな歴史があったのか? と感じていただけたら、企画した我々スタッフも少しは肩の荷が下りた気がします。
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最後に蒔田公園で解散式を行い、横歩連の総会を行った。
みなさんお疲れさまでした。
文・写真:和田
資料提供:横浜市歴史博物館